“MOKOMOKO・BORDER”(モコモコ・ボーダー)
栗原 針山
今日、SNSやAIの発達によって世界規模で瞬時に人が繋がれるようになりボーダーレス化が加速度的に進んできた。便利で良いことではある。しかし人の心は果たしてそこに追いついているのだろうか。例えばデマやフェイクニュースに対し吟味することなく乗っかり、あっという間に拡散してしまうこともある。そしてそれが時には誰かを自殺に追い込んだり命を左右することも増えている。本来踏みとどまるべきボーダーまで失われつつあるのだ。
ボーダーというと国境をイメージする人も多いかと思うが、ここで取り上げたいのは特に個々人の内面におけるボーダーである。だがそれは非常に複雑で繊細なものだ。マイナスに作用すれば人種差別などにもつながりかねない。だからこそ、今の時代に求められているのは短絡的な差別化としてのボーダーではなく、十分な葛藤の先にあるプラスの産物としてのボーダーではないだろうか。それは人間性の希薄化に歯止めをかけることにもなり、むしろ互いを表面的にではなく真に尊重しあえることにもつながるはずだ。
具体的に言えば、いったん立ち止まり相対する問題に葛藤を重ね、そのギリギリのボーダーに解決の糸口である煌めきを見出していくことだ。このアプローチを私はMOKOMOKO・BORDER(モコモコ・ボーダー)と称して書で表現している。葛藤の対立対象は自己の内面における二面性、個と全体性、あるいは生と死といった概念や普遍的なテーマにも及ぶ。“MOKOMOKO”(モコモコ)とは日本語で「次々と周囲より盛り上がった部分が生じるさま」を指す。1℃単位の温度調整や熟成などの独自の墨の作り方によって書する文字の一点一画をモコモコと滲ませ、そこに葛藤をはじめとした感情を投影する。文字そのものが元々もつ意味と相まって命が吹き込まれていく。そして線同士がモコモコとぶつかりせめぎ合った末、その狭間に実に微かな、だが確かなるボーダーが生まれ光を醸し出すのだ。それは結果としての余白やボーダーにこそ価値が生まれることの象徴でもある。このモコモコとした墨は今まさに膨らみつつあるように見えるので、生々しい永続性をもつことができるようになる。
人間は元来、葛藤する生き物であり切実に出口を探そうとする。その過程がシビアであればあるほどそこに残るボーダーはより実体をもった生きる煌めきとなり、本質的な存在意義を取り戻すことになる。そう、私の提唱するボーダーとは、誰もが抱える葛藤や苦悩の先にやがて訪れる確固たる一筋の救いの光であり明日を切り拓くものなのだ。
コロナ禍において図らずも閉ざされ足元を見つめ直すことの一端を感じる人も多かったかと思う。ポストコロナ時代に向け、混沌とした葛藤の先のボーダーの光をいかに見出していくのか、観る人がそれぞれの人生を重ねながら感じてもらえたら幸いである。
一筋の光を求めて今を必死に生き抜く。その延長にこそ本当の明日が見えてくる。
歯を食いしばりながら絞り出す“なぜなんだ”という悲嘆にも近い思いである。顔に見えるかと思うが片方の目にあたる部分だけ白く発光するような滲みを出している。それはガっと目を見開いた眼力か、はたまた涙なのか、それとも…など状況に応じて
様々に感じてもらえるのではないだろうか。そして逆に問われてもいるのである。今の人間の立ち位置を。
揺るがず今やるべきことを粛々と。これは非日常であっても日常であっても同じである。心の中にしっかりと核となるものがあれば、どんな状況であれ歩みを止めずにやるべきことが見えてくるのではないだろうか。
「もう一度立ち上がれるか」~モウイチド<860×1620mm>
自分の中で葛藤したり他者ともせめぎ合いながらもう一度立ち上がろうとしていく。
モコモコと底から湧き出す力を糧にして光を醸し出しながら新たな一歩を踏み出していくような姿にした。